数学の面白さ(2)



ヒルベルトの公理主義

ヒルベルト(David Hilbert 1862-1943)についてもコメントしたいのですが、まだ勉強中なので、うまくまとまりません。私も一時期ヒルベルトにならって、数学をすべて公理という視点で整理しようと試みたのですが、あまりに複雑で行き詰まってしまいました。そのうち、数学は一種の生物学であるという発想が与えられ、公理とか証明でなく、数の運動として観察するという立場に変わりました。ですから、公理主義は卒業してしまったのですが、すべて学んだ上での卒業ではなく、判らなくなって退学したというのが実態です。今から考えると、退学ではなく、やはり卒業できるように最後まで勉強すべきだったと思います。

いずれは公理主義をもう一度勉強し直し、その上で非ユークリッド幾何学にも挑戦してみたいと考えています。



ゲーデルの発見

クルト・ゲーデルを取り上げるくらいになると、ようやく現代数学という感じがしてきます。ゲーデルの業績は高く評価されていますが、これを理解している人は世界に何人いるのでしょうか。私など、正直言ってまったく判りません。しかし、彼の証明の偉大さは理解できます。つまり、数理体系に於いて、それに矛盾が無いと証明することが不可能であることを証明してしまったと言うことです。なんと皮肉な話しでしょうか。こういう現実があると言うところが大変面白く感じます。これこそ、ドラマです

彼は1931年、25歳の時、ウィーンに於いてこの論文を公表しましたが、当時、ほとんどの人はこの論文を評価しなかったそうです。しなかったと言うより、出来なかったのです。つまり、よくわからなかったと言うことです。それほど、この論文は時代を先取りするものでした。また、この論文は、ホワイトヘッドとか、バートランド・ラッセルなどの数理哲学とも関連していて、一般の数学者の扱う数学とは、少しずれた分野であったことも評価を遅らせる原因だったでしょう。

彼の証明がその後の数学にどのような影響を与えたのか、私は知りませんが、証明と言うことの本質を知るためにも、何とか、ゲーデルの証明を判りやすく説明してくれる人が現れないだろうかと期待しているところです。現代数学はあまりにも高度になっていますので、証明したり、発見したりする人も天才ですが、それを解説する人も天才でなければなりません。そういう時代になったのです。

昔、高校の数学授業で、奇特な先生が論理数学のさわりの部分だけを教えてくれました。その時の印象ですが、まったく役に立たない数学だと私は思いました。先生の誠実さには心撃たれますが、私のような花より団子主義者にとっては、従来の数学との関連とか、何かの役に立つことを示してくれないとなかなかのめり込めないのです。橋を架けるというのも大変な才能が必要です。

(追記)
上記のゲーデルについての説明は一部誤りがあるようなので修正します。ゲーデルの証明は発表後、ノイマンなどによりすぐに評価され認められたそうです。彼の証明した定理に、完全性の定理と不完全性定理のふたつがあり、これについての説明も載せるつもりですが、今は時間がないので、このままにしておきます。

ゲーデルは、ユダヤ人と間違われてウィーンで冷遇され、それを嫌ってアメリカに渡り、アインシュタインと親交を結び、ノイマンとも親しくしたようです。ゲーデルは精神的に問題を抱えていたようで、被害妄想から食事をとらなくなり、最後は餓死してしまったとのことです。いかにも天才らしい人生ですね。

(追記2) 06/02/15
講談社現代新書「ゲーデルの哲学」(by高橋昌一郎)を読みました。面白いですね。是非ご一読ください。ゲーデルはアインシュタインからも評価されていたようです。晩年のアインシュタインが語ったとのことですが、「私が研究所に行くのはゲーデルと散歩するためだ。」 かのアインシュタインがそう語る人物がゲーデルなのです。彼の奥さんは、かつてキャバレーの踊り子だったというのも面白い情報ですね。彼の死んだとき、彼の体重は30キログラムだったとのことです。高橋さんは良くそこまで調べ上げましたね。感心しました。彼は晩年、数学研究はそっちのけで、「神の存在論的証明」に没頭し、周囲の人から奇人・変人扱いされたそうですが、さすが天才はひと味も、ふた味も違いますね。



フェルマーの最終定理が証明される


1995年2月13日、フェルマーの最終定理がついに証明されました。完成させたのはアンドリュー・ワイルズという数学者でした。彼は、多くの試行錯誤の後、クンマー、オイラー、谷山・志村予想などの研究成果を総合して、ようやく証明を完成させたとのことで、大変なニュースになりました。私も本を買ってきて、その証明のあらましを理解しようと思いましたが、とてもとても、私などが理解できるレベルではありません。なんのことか、さっぱりわかりませんでした。しかし、ひとつだけ見えてきたことは、つまりは、x^n+y^n=z^n の方程式を座標系変換し、座標系の公式を使って証明したと言うことではないでしょうか。方程式を代数的に扱っている限り、証明はどう考えても不可能です。図形化しても同じことではありますが、しかし、証明できたと言うことは、多角的アプローチは決して無意味でないことを示しています。

この証明を完全に理解することは私には出来ないでしょうが、今後、理解する努力は続けていこうと思っています。数学にもこういうドラマがあるということは良いことですね。

しかし、世界で数人しか理解できない証明とは何でしょうか。それでも証明といえるのでしょうか。証明とは何でしょうか。フェルマーの最終定理証明は、証明の終末を暗示しているように思えてなりません。


付録1

2002年春にSさんからメールを貰い、フェルマー大定理の彼なりの証明を教えてもらいました。これはとても面白いですよ。みごと証明できているように思えたので、Yahoo掲示板に投稿して専門家たちに検討してもらいました。すると、どうも間違っていたようで、こっぴどく罵倒されてしまいました。もちろん、罵倒してきたのは数人だけなのですが、結構精神的に落ち込みました。しかし、その他の親切な方々からどこが間違っているかを教えていただき、ようやく納得することが出来ました。

とは言うものの、この新証明の美しさには変わりありません。大定理の一部ではありますが、手品のような手段を使って証明していることは事実ですから、この証明も参考までに載せておくことにしました。表紙の付録6にあります。

付録2
あまくりさんのHP 「津耶乃の部屋」(HPが無くなってしまいました。残念ですね)でフェルマーの大定理を物語風に解説してくれています。この説明には感動しました。こういう解説はいいですね。それに「円周率百万桁への道」も読み応え充分でした。あまくりさんとは気が合うみたいです。

ただ、ひとこと付け加えると、フェルマーの大定理の証明に多くの人が夢中になる理由は、単に「証明が面白い」とか、「簡単に証明できそうに思う」ということではなく、出来たと思えるケースが非常に多いと言うことなのです。私自身が体験しましたが、このフェルマーの大定理を証明しようと思ってやってみると、驚いたことに証明方法が見つかるのです。ところが、さらによくよく考えてみると、ようやく間違いであることに気が付きます。そういうことを何度も経験させられるような証明が他にあるでしょうか。この一時的にも、見つかったと思えることこそ、フェルマーの大定理の魅力であり、のめり込む理由なのです。

皆さんもやってみてください。意外と簡単に見つかりますよ。・・・・間違った証明ですが・・・。

こういうフェルマー大定理の性質を考えると、もしかするとワイルズの証明もいずれ「やっぱり間違ってました」 (^^;; ということになるかもしれませんよ。そういうことが起きうるのがフェルマー大定理なのです。





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